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LIFULL Creators Blog

「株式会社LIFULL(ライフル)」の社員によるブログです。

謎のEjectボタン

Apple原理主義者であることを公言している大坪と申します。
Apple原理主義者なので、Appleに関する記事だったら、英語であってもがんばって読もうとします。「おもしろい」と思うと訳する力もないのに紹介したくなります。

というわけで

「面白いと思ったところだけ訳します。訳せないところは抜かします。気になる方はどうぞ原文にあたってください」

 

がモットーのAppleに関する英語記事紹介シリーズ。第一弾は「謎のEjectボタン」(原文:http://www.dadhacker.com/blog/?p=2080)

 


先日Appleの新キャンパスが話題になりました。まるで宇宙船のような円形の建物がCupertinoの市議会に承認されたとのこと。では今あるキャンパスはどうなるのでしょうか?そこには「謎のEjectボタン」があるらしいのです。

 

ちなみにejectを辞書で調べてみると

野球退場させる追い出す とか

(飛行機などから)緊急脱出する. とかいう意味がでてきます。


話は1992年。今のAppleのビルが新築だったころのこと。ビルができて一番目か二番目に引っ越してきたのがNewtonのグループでした。なぜかというとNewtonはジョン・スカリー(当時AppleのCEOだった人です)のお気に入りプロジェクトだったから。

まだ建築中だったので、火災警報がなったり、いろいろ妙なことがありました。そしてトイレの近くの壁に「何に使うのかわからない」ボタンがありました。何の表示もないし、勇気を出して押してみても何も起こらないようでした。さて、このボタンは何だろう?

その頃のNewtonプロジェクトの様子はこのように描写されています。

"Nearly everyone in Newton was working crazy hours at this point;
eighty hour weeks were pretty common. While the end wasn’t in sight,
we were making good progress on some hard problems. Well, handwriting
recognition was still a big bet, and there were a lot of issues around
memory footprint and storage, and the development environment was
behind, and the language the applications would be written in was
still being designed, and PCMCIA card support was rocky, and IR and
faxing were flaky, and the built-in applications were still in a lot
of flux, not to mention gesture recognition, shape drawing and sound,
and battery life, and ROM space, and how we were going to patch ROMs
with only a 20K budget of RAM. But aside from those issues, and a few
other things (like the schedule), the project was going okay."

 

Newtonプロジェクトに関わる人は全員狂ったように働いていた。週80時間労働はあたりまえだった。まだ終わりは見えなかったがいくつかの困難な問題に関して結構前進していた。もちろん手書き認識は「賭け」としかいいようがない状態だったし、メモリや記憶容量のサイズは問題だったし、開発環境は遅れていたし、アプリを書くための言語はまだ設計されている段階だったし、PCMCIAカードはバグだらだけだったし、赤外線とFAXの機能は不安定だったし、搭載されたアプリはflux(?)だらけだし、ジェスチャー認識、図形描画、サウンド、バッテリーの持ち、ROM,RAMのサイズは言うまでもない状態だった。しかしそうした問題と他の問題(例えばスケジュールとか)を除けばプロジェクトはまあまあうまくいっていた。

 

さて、この記事の著者は自宅でLinuxをインストールするためSONY製のCD-ROMドライブを買いました。それにはボタンの説明シールが何枚かついていた。捨てるのはもったいないので、何枚かポケットに突っ込んで出勤したそうです。

夜の10時か11時頃、ビルドが終わるのを待ちながらぶらぶらしていた著者の前に例の「謎のボタン」が目に入りました。周りに誰もいないのを確かめた後、ポケットから"Eject"シールと矢印シールを取り出して謎のボタンの周りに貼ったのです

2-3日もすれば、ビルの管理人かだれかが剥がすだろう、と思っていたのですが、それから数ヶ月間、「謎のボタン」は「謎のEjectボタン」として有名になりました。Ejectというからには押すと何かが「排出」されるのだろうか。押してみたけど何も起こらない、一体何が「排出」されるんだろう。謎は深まるばかりでしたが、著者は「秘密」を守りつづけました。

何ヶ月かが過ぎ、Newtonが出荷されました(著者の意見では「数ヶ月早すぎた」とのこと)一年後に著者はAppleを去り別の会社で働き始めました。Newtonは成功せず、スカリーが去り、ジョブスが復帰し、iPhoneが発表され、、

そして先日著者のもとにある写真が届いたそうです。それは「謎のEjectボタン」の写真でした。20年たった今でもそこにあるらしいのです。著者はこう述べています。

I wonder if Steve ever pressed that button, or wondered what it did?

 

Steve (ジョブス)はこのボタンを押して、「何をするんだろう?」と考えたことがあっただろうか?

 

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Newtonを「時代に先駆けすぎていた」というのは簡単ですが、個人的にはその失敗から多くのことを学ぶことができると思います
G.M.ワインバーグの「コンサルタントの秘密」という名著にこういう言葉があります。

エドセルの訓令
新しいものとつき合わなければならないときは、二つではなく一つにしよう。


上記文章の中で述べられているように、Newtonは開発言語と、それで動くアプリケーションを同時に新規開発しようとしました。そして私はそれが技術的に彼らが失敗した原因の一つだと思っています。もっともエンジニアの端くれとして「何もかも新しくしたい」という要求は理解できるところですが、「エドセルの訓令」はほとんどの場合冷酷に立ちはだかります。UIのデザインで冒険するなら、開発環境は実績のあるものを使う。新しいシステムを基盤にするなら、アプリケーションは堅実なものを選ぶ。どちらか一つにしない限りプロジェクトが失敗する可能性は高くなる。


iPhoneの開発もNewtonに負けず劣らず大きな賭けだったようです。しかし少なくともアプリを作成するための言語、Objective-Cは長く使われていて実績があったわけです。それでも彼らの困難は想像を絶するものだったようですが、その物語については別の機会に。