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LIFULL Creators Blog

「株式会社LIFULL(ライフル)」の社員によるブログです。

プレゼンスライドを作る前に考えるべきこと

大坪と申します。人前でプレゼンテーションをする機会というのは、私が若いころに比べてずいぶん増えたように思います。

でもって「プレゼンのコツ」なるものも世の中に山ほど出回っている。フォントは24ポイントだか40ポイントだとか、あるいは箇条書きにしろとか、スライドのデザインはスッキリしろとか。

しかし

私見ではそれらは末端の些事にすぎない。フォントを40ポイントで統一しようが、高い金を払ってプロのデザイナーに「スライド」を作ってもらおうが、プレゼンテーションの基本原則を考えていないプレゼンは駄目プレゼンです。(きっぱり)

PowerPointだかそれに類するソフトウェアを立ち上げる前に、一歩引いて考えましょう。そもそもプレゼンテーションは何のためにするのでしょうか?ネットで検索すると、良い言葉にいくつも出会えますがここでは以下の定義を使います。

定義:プレゼンの目的は「売り込み」である

つまり聴衆が「あなたが売りたい物について話しを聞く気にさせる」のがプレゼンの目的です。ここで「売る」というのは別に金銭の移動を意味しているわけではない。「これはよい」「面白い」と思ってもらえれば、売り込みは成功です。しかしここでプレゼンと似て非なる「説明」というものの存在について考えなくてはならない。

「説明」とは何か。それは既に「買う気になっている相手」に細かい条件等を話すことです。主たる目標は情報を伝えることであり、「売り込み」ではない。この区別は時として曖昧になりがちであり、ほとんどの場合は両者が混じっています。しかしこの定義を疎かにすると後の「良いプレゼンを行うための行動」が全て的はずれなものになってしまう。

貴様ごときチンピラエンジニアが何を言うか、と思われる方もいると思うので別の方の言葉を引用しましょう。

これらの事の本質は実にシンプルで「自分のいいたいことが相手に伝わり、共感してもらえなければ、そもそもプレゼンする価値がない」という至極当たり前のことである。その観点にたてば、それまでの自分の説明というのはおおむね「聞いて理解しようと努力してくれる人にたいして、各種データを提供していただけ」といことを、その後ベインでいろいろなプロジェクトに関わり、たくさんのプレゼンをこなす中で、徐々に理解するにいたるのであった。

スティブージョブス驚異のプレゼン P386 解説外村仁氏

上記引用文中で「自分のいいたいことが相手に伝わり、共感してもらえる」というのが「売り込み」であり、「聞いて理解しようと努力してくれる人にたいして、各種データを提供する」のが「説明」です。

最近聴力がだいぶ衰えてきたので、異論は聞かなかったことにし上記の定義を元に考えましょう。例えばあなたが感動的なスライドの束を作り上げたとして、それをどこかに置いておけば皆がそれを読み、あなたのところに「もっと詳しい話を聞かせてほしい」と連絡してくるでしょうか?

例えばポアンカレ予想を証明したペレルマンの論文はそうしたものだったかもしれません。彼はインターネットサイトに論文を投稿するだけで、驚くほどの「売り込み」に成功したのです。しかしもしあなたがポアンカレ予想よりは多くの人に着目されていない問題に対して、ペレルマンの論文ほど画期的でない事柄を述べようとするのなら、別の方法を考える必要がある。

別の方法とはなにか?プレゼンテーションです。プレゼンテーションを行う機会を与えられた、ということは、単に「だれでもアクセスできる場所に文章を置いた」のとは違い、忙しい聴衆があなたの「売り込み」を聞くことに貴重な時間をコミットしてくれた、ということです。

であれば

プレゼンターは「自分の言葉で語りかける」必要がある。人間に対して売り込みができるのは人間だけです。紙や画面に映しだされた文字ではない。

つまり

プレゼンテーションは「プレゼンターが聴衆に語りかける場」なのです。聴衆が配布された印刷物を読む場でも、画面に映しだされた文字を読む場でも、ましてやその文字を朗読するのを聞かされる場所でもない。聴衆は「プレゼンターから言葉を聴くために」きているのです。

こう考えると次の事がわかります。

プレゼンは朗読会ではない=「しゃべる内容」を画面に書いてしまうこと、これはプレゼンテーションを行う上で根本的な間違い

大事なことなのでもう一度書きます。プレゼンは朗読会ではない。あなたがいかに美声の持ち主であり、すばらしい声の表現力を持っていたとしても、画面にかかれた文字を朗読することで「なるほど、これは素晴らしい内容だ」と考える聴衆はいません。読んでわかる内容なら、聴衆は時間をコミットする必要はない。資料を送ってもらう(そしてほとんどの場合そのまま削除する)だけで十分です。

たとえばよく見かけるこんな「スライド」。これは「売り込み」という観点からは間違っている。

f:id:nextdeveloper:20140224102041j:plain

なぜ間違いか?このスライドがあればプレゼンターは要らないからです。

いや、そういっても書いておけば何かいいことあるかもしれない、と考える人もいるでしょうがそうではない。「しゃべる内容を書いた画面」を目にした途端聴衆はプレゼンターの言葉を聞かず自分勝手なペースでその文字を読み出します。さらに悪いことに、ほとんどの人はプレゼンターが朗読するより早く文字を読み終えますから、

「もうわかったからさっさと次の話しを聞かせてくれ」

と内心いらいらしながら朗読が終わるのをまつことになる。 このことから、私は次のように主張したい。

「スライド」を印刷して配布したり、SlideShareにアップロードしてすむようなら、人前でしゃべる資格はない

これについては少し補足が必要です。喋った後に「より細かい資料」を公開して読んでもらうのはとてもいいことだと思います。しかしそれとてプレゼンという売り込みが成功してからの話。つまり「プレゼンテーションを印刷」とか「プレゼンテーションをアップロード」というのは(プレゼンテーションの音声も合わせて記録した動画、あるいはそれに類する形式*1でない限りそもそも意味を持たない行為なのです。

さらに次の事実も合わせて考える必要がある。

事実:聴衆がプレゼンの間に受け取れる情報量は信じられないほど少ない

まずプレゼンの定義を思い出しましょう。プレゼンを行う時点では、そもそも聴衆はあなたが売り込もうとする内容について「ふーん」くらいの期待しか持っていないわけです。よくてどんよりした目を前方に向けている、悪ければ寝ているかもしれません。

そういう姿勢でいる相手がどれくらいの情報量を受け取れるか、というのはお昼ごはんの後の講義で、例えば15分の間にどれくらい先生の話が頭に残っていたかを思い出せばぼんやり想像できると思います。

あるいはこう考えてもいいかもしれません。私が昨年参加したWISSというワークショップでは、六頁の論文を書きます。プレゼンの時間は15分。この論文を最初から朗読するとどれくらい時間がかかるでしょうか?一度やったことがあるのですが、初めて聴く聴衆が理解できるようにゆっくり読み上げると軽く2倍の時間がかかります。つまりあなたが文章で表現したい内容に対して最高でも半分しかしゃべることができない。聴衆の記憶に残り、興味を持ってもらうためにはそれ以上に内容を削らなければならない。

ですから

「プレゼンテーションの準備」をする際にまず考えるべきなのは

自分は何を売り込みたいのか それをわかってもらうために、エッセンスをどう抜き出し、どのように語ればよいか

これらをきちんと考えることが第一に必要。それを飛ばして「プレゼンの準備をしよう」といって最初にPowerPointを立ち上げたとすれば、その時点で失格。そもそも自分が何を売り込みたいのかわかっていないのに、「スライド」をいくら作っても、誰も聞いてはくれません。

ここまで書いたことを踏まえ、最後にやりがちな間違いについて書いておきます。

自分がやったことを順序良く説明するのは、プレゼンテーションではない。

それは「説明」です。もっとも相手が「そうした説明」を期待している場合は別ですが。いや、俺(もしくは私)はこんなに苦労して結果をだしたのだから、その過程を克明に語る資格があるし是非聞いてもらいたい、というなどと考えたとすれば、それは間違っています。以下の文章を読みましょう。

──ではよくある“ダメなプレゼン”はなんでしょう? 自分のことばかりを語るプレゼンですね。最初に触れた通り、自分が話したいことではなく「相手が聞きたいこと」を心に響くストーリーに仕立てて話すことがいちばん重要なことです。

引用元:五輪招致戦略コンサルタント、ニック・バーリー:「世界を動かすプレゼン力を伝授します」 « WIRED.jp

あなたがものすごい有名人であるか、あるいは観客全員が何らかの理由によりあなたに恋しているのでなければ、誰も「あなたがどんな人で何を考えているか」なんかに興味を持っていません。観客は自分が聞きたい事を聴くために、そうした「自己中心的」な理由のためにそこにいるのです。相手が何を聞きたいと思っているのか。それを考えることが第一歩。


以上が私が考えるプレゼンテーションの「原則」です。原則は原則であって、全ての場合の真理ではない。Apple原理主義者といえどもWindows上でC#でプログラムを書かざるを得ないこともある。上司の求めに応じ、PowerPointで作った「説明資料」を読み上げなくてはならない場合もあるでしょう。

しかしながら

原則とその応用形を混同してはならない。プレゼンテーションの原型はプレゼンターが聴衆にしゃべりかけ、どうしても必要な場合だけビジュアルエイドと呼ばれる図表を用いるものでした。しかしソフトウェアを用いてスライドを作ることが容易に行われるようになった今、プレゼンテーションの主役がプレゼンターではなく「スライド」になっているのではないか。

「明日のプレゼンの用意全然できてないよ。早くスライド作らなくちゃ」

という言葉を聞く事は多い。この言葉は暗黙のうちに「プレゼン=スライド」という等式を想定しているかのようです。しかし私見ではこんなことを言っている時点でプレゼンは聞くに値しないものになっている可能性が高い。

私はPowerPointとかの「スライド」作成ソフトの使用を否定するものではありませんが、それらがもたらす問題についてはよく考える必要があります。ではそれは何なのか、については以下次号(次号があればの話ですが)

*1:任天堂がサイトに掲載している決算説明がこの例です