Apple原理主義者ですが、今日書く内容にその事実は関係ない大坪です。
「新しいアイディアを出そう!」(意訳)
というときにブレーンストーミング-略称ブレストってよくやりますよね。真面目な誰かが「質より量」とか「他人の意見を批判しない」とか「ブレストの原則」を述べ出すと「そんなのもう聞いたよ」感が会議室に満ち溢れるくらい世の中に普及しているわけです。
個人的にこの「ブレスト」というのはよほど注意しないと有意義な結果を残せないといつも注意しています。私はバラエティ番組にでている能年某嬢くらい考えるテンポが遅いので、元気良い人が多いブレストでは発言できない。いや、それはお前がそもそも新しいアイディアを持っていないからだろう、という真っ当な指摘は無視してじゃあブレストで「すごいアイディア」がでてきたことがあるかというとあまりそういう記憶もない。
自分では「なぜそう考えるのか」説明できなかったのですが、最近見つけた記事がその理由になるかもしれない、と考え始めました。そもそもの問題意識から
Meetings want to suck. Two of their favorite suckiness tactics are group brainstorming and group negotiation.
引用元:Note and vote: how to avoid groupthink in meetings | Google Ventures
いいかげんな訳:会議は退屈さを欲している。会議が大好きな「退屈にする方法」はグループでのブレストとブループでの交渉だ
なるほど。では彼らはどのような方法を提案しているのか?前述のページから少しはしょって引用すると (以下引用&要約しつつ和訳)
1.Note
5分か10分で個々人がアイディアを書き出す。その後2分かけて1個か2個の「これがいい」というアイディアを選ぶ。
2.Share and Capture
順番に自分がよいと思ったアイディアを発表する。「売り込み」はなし。それをホワイトボードに書き出す。
3.Vote
5分で、書き出されたアイディアのうちどれがよいと思うが決め、ノートに書く。そのあと順番に自分がよいと思ったものを発表する。(ノートに書いた内容を変えてはダメ)ホワイトボード上にどのアイディアが何票得たかを書いていく。
4.Decide
責任者がどのアイディアでいくか決定する。その際投票結果を尊重しても、尊重しなくてもよい。仮に投票結果と違う結果になっても「すべての人間の意見をちゃんと聞いた」ことになる。
以下この方法がうまく行く理由について述べられています。
- 個人に静かに考える時間が与えられる
- すべての人が並行して考えているので、「一度に一人しか発言できない」通常のブレストに比べて時間の効率がよい
- 投票する際に、他人の意見を聞く前に自分の意見を書き出している。つまり「他の人の意見に安易に同調する」ことがない。
最後の項目は「集合知がうまく働くための条件」とも合致している。すなわち集団での決断が「衆愚」に陥らないためには、他人に影響されない独立性を持っていないければならない、といわれています。ここで自分の判断を頭の中にだけ止めておくと
「Bがいいと思ってたけど、あの人がAと言ったからA」
的な判断に堕してしまう。あらかじめ自分の判断を書いておくことでそうした事態が防げるわけです。
また4.Decideを読んで「マキャベリ語録」のある一節を思い出しました。
あなたは、すべての事柄について質問しなければならない。そうしておいて彼らの自由率直な意見を求めるのだ。そしてそのあとで、あなた自身の判断で決定を下す
マキアヴェッリ語録 P98 塩野七生著 新潮文庫
グループの各員は自由に自分の意見を表明できなくてはならない。責任者は自らの責任において決断を下さなくてはならない。一見両立が難しいように思えるこの二つの命題は実はそれほど離れていないのかもしれません。
さて
このNote & Voteが提起しているもう一つの問いは
「優れたアイディアは一人の頭での深い思考からしか生まれないのではないか」
という点。こちらのページ
The Design Sprint — Google Ventures
では、彼らが実行している一週間のデザインスプリントについて述べられています。このプロセスでは、火曜日(つまり二日目)がSKETCHに当てられており、
During Sketch day, your team will work individually to draw detailed solutions on paper. As you sketch, everyone works separately to ensure maximum detail and depth with minimum groupthink.
訳:Sketchの日に、チームメンバーは個々に詳細な解決案を紙に書く。個人ごとに作業するのは、グループでの思考を最小限にし、かつ(アイディアの)詳しさと深さを最大にするためだ。
ここで提案されている方法も伝統的なブレストとは異なったものです。
ここでもう一つ引用します。先日紫綬褒章を受賞した佐藤雅彦氏のインタビューで、私の世代だと佐藤氏はすごいCMを作る人、というイメージなのですが最近では「ピタゴラスイッチ生みの親」と認識されているかもしれません。
でもジャンプっていうのは非常に難しくて、どこで見つけるかっていう質問だったんですけど、それはすごく難しくて、いろんなところに隠れているんですよ。
僕は「うまく待つ」って言っているんですけど、そういうものを見出す自分でいるように、うまく待っている。見過ごさないように。当たり前だと思っていることが実は当たり前じゃない、ということがとってもあるんですよね。
それと、これは鍛錬なのかもしれないですけど、いろんな場合の数、無数の場合の数を頭の中でやる訓練というか。全部「この場合、この場合、この場合……」全部「つまんない、つまんない、つまんない……」って頭の中でガシガシやっているうちに、セレンディピティというんですかね、たまたま何かのものが見えたりしたときに、それがガーンと来るジャンプの映像だったりしますね。
だからやっぱり「うまく待つ」ということと、「ものすごく追求する」ということだと思いますね。引用元:新しいものは"つくり方"から生まれる--「ピタゴラスイッチ」生みの親・佐藤雅彦氏インタビュー | ログミー[o_O]
ここで佐藤氏が強調している「うまく待つ」と「ものすごく追求する」は「質より量」といったブレーンストーミングの原則とは相反している。会議室で決められた時間内にアイディアを出し合うのではなく、個人の頭の中で膨大な組み合わせ、評価サイクルを回すことを会議中でなくても延々と続ける。そうしていると思わぬときにアイディアがやってくる。会社から帰ろうと電車に乗ろうとした瞬間「おわっ」とアイディアが閃いた経験を持つのは私だけではないと信じたい。
あるいは私は「新しいアイディアといってもいろいろ程度がある」事実を無視した意見を書いているのかもしれません。仮にそうだとしても
「アイディア出し会議をしよう!さあ、ブレストだ」
と直結してしまうのは見直すべきではないかと最近考え始めています。