Apple原理主義者の大坪です。例によって先日見つけた文章を和訳しつつあれこれ書きたいと思います。題名は"Design is About Intent"-「デザインとは意図のことである」
この文章中の主張についてはおそらく様々な意見があると思いますが、私は読んでいる最中に3度は大笑いしたことを申し添えておきます。
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有名で敬意を払われている企業にはそれぞれのコア・バリューがあります。この文章によればToyotaのそれは生産システムであり、GEはシックス・シグマで有名です。ではAppleのコア・バリューは何かと問われれば
Apple is about design.
via: Rampant Innovation | John R. Moran on strategy and innovation
Appleはデザインの会社だ。
「デザイン」。昨今デザイン思考とかd.SchoolとかIDEOとかが語られ、ともすれば
With the worthy aim of making design accessible to the rest of us, they’ve broken down “design thinking” into step-by-step frameworks, which generally involve empathetic understanding, creative ideation, and experimental prototyping.
via: Rampant Innovation | John R. Moran on strategy and innovation
だいぶ意訳:デザインを普通の人にも使えるようにするため、デザイン思考はステップ・バイ・ステップのフレームワークとして定義された。多くの場合ユーザの感情の理解、創造的なアイディア出し、それにプロトタイピングが含まれる。
個人的な意見ですが、こうした「デザインプロセス」について読む度、何かが決定的に欠けている、と思うことが多い。この文章も次にそうした点について述べます。
But I fear that “design” has moved too quickly to the tools and techniques stage - the “how,” instead of the “what.”
via: Rampant Innovation | John R. Moran on strategy and innovation
デザインがあまりにも早くツールやテクニックになってしまっているのではないかと危惧している。「What:何を」ではなく「How:どうやって」になっていないか。
ではこの文章の著者が考える「デザイン」とは何なのか?それは
であると主張します。なんだそんなことは当たり前ではないか、と言うことは簡単ですが難しいのはその意図を細部にまで徹底させること。Appleがその点で徹底していることを示すエピソードが2つ挙げられていて、ひとつはDesign担当のVP Jonathan Iveについて
“he’s known to use ‘arbitrary’ as a term of abuse.”
彼にとって「任意の」という言葉は悪態と同じだ
もう一つは故Steve Jobsのもので彼の妻によれば
“We spent a lot of time asking ourselves, ‘What is the purpose of a sofa?’”
via: Rampant Innovation | John R. Moran on strategy and innovation
私達は「ソファーはなぜ必要なんだろう?」と長い間議論したものです
別の言葉で言えば、「なぜ製品のこの部分はこうなっているのか?」と聞かれた時に「なんとなく」という言葉はありえず、「それはこういう理由からです」と即座に返答ができなければならない。
こういう文章を読むと日々「なーんでもいいんじゃなーい」と言っている私などは果たしてApple原理主義者と名乗る資格があるのか不安になってくるわけですが気にせず先に進みます。
この文章では次に「3つのデザイン上でのごまかし」が取り上げられます。それはなんなのか。
The first evasion: Preserving:現状維持
「デザイン」する上での判断を避けるもっとも良い方法は、そもそも疑問を持たないこと。「車輪の再発明をするな」というのは多くの場合有効な言葉ですが、新しい物を殺すという点でも有効。この文章では「Microsoft Surfaceや新しいBlackberryに物理的キーボードが付いている」ことがその例として挙げられていますが、これに関しては異論を述べたい人も多いでしょう。
この文章の主張を私なりに解釈すれば、
「タブレットには絶対キーボードが必要なんだ」
ではなく
「今のPCにはキーボードがあるから、タブレットにもキーボードをつけよう」
と考えるのがよくない、ということなのかなと。非常に微妙な線ではありますが。
さて2番めは
The second evasion: Copying:コピー
この点に関しては、最近サムソンがやり玉にあげられることが多い。こんなサイトまであるほどです。私のような年代の人間だと
「そうだよなあ。コピーばかりで独創性がない、って言葉は一昔前に日本企業に向けられていたけど、最近はもう非難すらしてもらえないのか」
と寂しくなりますが、それはそれ。
Appleも時としてコピーすることが知られていますし、そもそもMacintoshのGUIだってXeroxのPalo Alto研究所から、と言いたい人もいるでしょう。それに対するこの文章の答えは
The difference is that Apple seems biased to design based on its own intent first, and copy second; its rivals tend to copy first.
via: Rampant Innovation | John R. Moran on strategy and innovation
Appleが他の企業と異なるのは、自らの意図に従ってデザインすることが第一で、コピーが2番目になっていること。競合企業はコピーすることを第一にしている。
Apple原理主義者の意見ですが、Appleはコピーした特徴であってもApple製品の一部として消化して出してくる、と思っています。
さて3番めは
The third evasion: Delegating:他人まかせ
Delegateという言葉は「権限移譲」とかいう意味。なんだそれはと思われるかもしれませんが、具体例を挙げたほうがわかりやすい。この文章では3つのカテゴリーに分けられており
A) Offering a wide range of product choice:幅広い製品バリエーション
サムソンが非常に多くの種類のスマホ、タブレットを作っていることは時々揶揄の対象になります。この文章の言葉で言えば"spray and pray" - 撒き散らしてあたるように祈る-とでもいいましょうか。
もちろんそれを意図的にやる、という方針もあるのでしょうが設計上の判断を避ける良い方法とも言えます。
もう一つ例として挙げられているのが再びMicrosoftのSurface。Windows RT+ARM CPUを搭載したSurfaceとWindows+Intel CPUを搭載したSurface Pro。どちらが当たるかわからない時は「幅広いユーザニーズに応えるため」両方の選択肢を提供する、というのもひとつの理屈でしょう。しかしコンシューマーからみれば「で何が違うの?」と混乱するだけ。
挙げられている例えが面白いので訳します。
As an analogy, giving someone birthday money instead of taking the time to choose a gift seems eminently logical - why limit the recipient’s choices? But the gifts we remember most fondly are seldom checks.
via: Rampant Innovation | John R. Moran on strategy and innovation
たとえだが、誕生日プレゼントに時間をかけて何かを選ぶのではなく、お金をあげるのは論理的な方法だ。なぜ受け取る側の選択肢を狭めてしまうのか?しかしお金(原文:チェック-小切手)が「印象に残ったプレゼント」であることは滅多にない
B) Trying to offer an omni-functional product:なんでもできる製品
特定の用途を念頭に、それをすばらしく上手に行える製品を作るのではなく、「誰が何をするときも役に立つ」製品をつくること。挙げられている例のうちわかりやすいのが、(三度目ですが)Microsoft Surface。
ラップトップPCでもある。Tabletとしても使える。どちらのユーザにも対応できる製品であり、文字面で聞くと非常によく思える。Surface Pro3の発表でもその点をしきりに強調していました。96%のiPad所有者はラップトップも買っている。なぜ2つ必要なんだ?Surfaceなら一つでOK。自分が何を買いたいか迷った時も、Surfaceを買えば間違いない。
私の左脳は「これは実に見事なロジックだ」と理解している。誰もがなんでもできる製品、という言葉にこれほどふさわしいものはない。
しかし現実を見ましょう。彼らはまだ市場で成功しているとは言えない。(未来のことはわかりませんが)なぜ売れないのか?
我々の頭のなかには「機能が増えることはいいことだ」という固定概念が存在しています。"Less is more"と字面でわかったような気になってもなかなか勇気をもって削ることはできない。あれもできる、これもできる。それと引き換えにシステムは複雑になり、どちらの用途にも中途半端になる。
勇気を持って「それを削り、こちらにフォーカスしよう」という決断こそが「デザイン」のコアである「意図」。
これは私見ですが、タブレット用の全画面UIと、従来のPC用のデスクトップ画面を「妥協無く共存」させたWindows8のUIもこうした観点から見ることもできるかもしれません。
さて、おそらくもっとも議論を呼ぶであろう3点目。
C) Deciding based on user testing:ユーザテストで判断する
この点においては、IT業界の巨人達とAppleは極端な違いを見せています。A/BテストはWebサービスにおいて広く用いられており、有用だ、とこの文章は述べます。しかし
「それはデザインではない」
とも。
この文章によればGoogle/Facebook/Amazon 3社ともが「主観ではなくデータ、ユーザテストの結果で判断する」と述べているとのこと。しかしながら特にGoogleとAppleの間で顕著ですが、NexusのデザインがiPhone/iPadのデザインより優れている、という意見はあまり聞いたことがない。
それであれば、「ユーザテストを元に決断する」という方法が「他人まかせ」の一つの形態になってはいないか、という議論もなりたつのではないか。
この点を考える時いつも私の頭に浮かぶのは、ある雑誌でみた4コマ漫画です。年配の教授が「長期にわたるテストと解析の結果、A案のほうがB案より優位に良いことが判明した」と研究成果を述べている。それに対して学生が次のように質問する。
「えーっとどうやって言えばいいかな。もし両方共ゴミだったとしたら?」
A案とB案を比較することはデータで議論できる。しかしそもそも「優れた案」はデータから産む事ができるものでしょうか?
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この文章は「Appleの製品はデザインが優れている」という観点で書かれています。しかしながらサーバーサイド主体のサービスになると、私のような狂信的Apple原理主義者でも首を傾げざるをえないことが多い。iCloudはそもそもどうやって使う物なのか。Googleのような有用なサービスをなぜAppleは「デザイン」することができないのか。
しかし「手に取って触る製品」になるとそうした関係は逆転します。この「差異」については未だに結論が得られません。
ユーザがインターネットに触る場所がPCからモバイルに移るにつれ、「手に取って触る製品」のインタフェースの重要性が増してきている。それではサーバーを活用したサービス+手に取る製品のデザインはどのような形で行うべきなのか。この答えはまだでていないように思います。