こんにちは、リッテルラボラトリーの清田です。
まもなく発刊予定の人工知能学会誌 2015年5月号に、「イノベーションとAI研究」と題した特集が掲載されます。 今回、人工知能学会編集委員として特集を企画・担当させていただきました。
企業のR&Dや新規事業、ベンチャー創業、産学連携など、イノベーション創出の最前線で活躍中の方々に、8編もの記事をご寄稿いただきました。 いずれの記事も、現場での豊富な経験に基づいてご執筆いただいており、人工知能(AI)技術をイノベーション創出に生かすためのヒントが満載の内容となっています。
人工知能学会にご入会いただくことで購読できるほか、Amazon.co.jpでも購入が可能です。
特集概要のスライドを公開しておりますので、こちらもご覧ください。
多くの方々に読んでいただき、イノベーションへの新たな視点を得るきっかけとしていただきたいと思います。
企画の意図
この特集を企画するにあたっては、シナジーマーケティング株式会社 R&Dの谷田泰郎さん、株式会社ホットリンク R&Dの榊剛史さんらと続けてきた議論がきっかけとなりました。
弊社も含め、多くの新興IT企業がイノベーション創出を目的として研究開発(R&D)組織を設立しています。以下に、日本国内でのAI関連分野での主な取り組み事例をまとめてみました。
企業名 | 創業 | 株式公開 | R&D組織設立 | 設立の経緯 | AI関連分野での主なR&Dテーマ |
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(株)ホットリンク | 2000 | 2013 | 2004 | ブログ関連技術の産学連携組織としてHottoLabo設立 | ソーシャルメディア解析、コミュニティ解析 |
サイボウズ(株) | 1997 | 2000 | 2005 | 連結子会社としてサイボウズ・ラボ(株)を新規に設立 | 機械学習、自然言語処理 |
楽天(株) | 1997 | 2000 | 2005 | 楽天技術研究所を新規に設立 | 自然言語処理、画像認識 |
ヤフー(株) | 1996 | 1997 | 2007 | Yahoo! JAPAN研究所を新規に設立 | 機械学習、自然言語処理 |
(株)ネクスト | 1995 | 2006 | 2011 | 東京大学発の産学連携企業であった(株)リッテルを買収し、リッテルラボラトリーを設立 | 情報推薦、ビッグデータ解析、ユーザエクスペリエンス |
(株)サイバーエージェント | 1998 | 2000 | 2011 | 秋葉原ラボを新規に設立 | ビッグデータ解析、機械学習、自然言語処理 |
(株)リクルートホールディングズ | 1960 | 2014 | 2012 | (株)リクルートテクノロジーズ内に,新技術開拓部門としてAdvanced Technology Labを設置 | ビッグデータ解析、機械学習、自然言語処理 |
シナジーマーケティング(株) | 1997 | 2007 | 2012 | R&Dグループを新規に設置 | マーケティングおよびコミュニケーション研究 |
(株)ドワンゴ | 1997 | 2003 | 2014 | ドワンゴ人工知能研究所を新規に設立 | 人工知能、特に汎用人工知能や全脳アーキテクチャに関わる研究 |
サイジニア(株) | 2005 | 2014 | (独立したR&D組織の設置なし) | ビッグデータ解析、機械学習 |
学会やイベントなどで他企業のR&Dの方々と交流する機会も多々あるのですが、AIをはじめとする研究シーズをビジネス上の価値創出(イノベーション)につなげる過程で直面する課題についても、しばしば話題になります(もちろん、私たちのグループもいくつかの課題を感じています)。
それぞれの現場で課題解決のためにできることもたくさんあります。PDCAのサイクルをできる限りたくさん回したり、マネジメントを強化したり、R&D部署と他部署のコミュニケーションを活性化したり、といった取り組みはきわめて重要であり、実際に多くの現場でも実践されています。谷田さん・榊さんとも、それぞれの現場で行っている取り組みについての情報交換を続けてきました。
しかしながら、議論を続けていく中で、「それぞれの現場での取り組み」だけでは解決できない、より大きな課題が横たわっているのではないか、という認識も生まれてきました。成功事例の手法を実践することも確かに大事ですが、R&Dをビジネスのプロセス全体の中でどのように位置づけるか、という哲学を浸透させない限り、実践は長続きしないのではないでしょうか? R&Dだけでなく、イノベーションにかかわる多くのステークホルダー(経営、企画、営業、エンジニア、大学・公的研究機関、コンシューマー、...)が議論を共有できる土台があって、はじめて取り組むことができる課題もあるのではないか、という一つの考えが浮かび上がってきました。
そこで、今回の特集担当の機会をいただくにあたって、イノベーションをとりまく大きな課題を浮き彫りにするために、以下の2つの軸を設定して、イノベーションの最前線で活躍中の方々に執筆いただくことで、議論を共有するための土台を創るというチャレンジを試みました。
- イノベーション創出に関わる人々の「役割」
- 経営、企画、営業、エンジニア、アカデミアなど、それぞれの「役割」の視点から感じていらっしゃる課題を共有していただくとともに、「役割」の違いから生じる意見の食い違いを乗り越えて連携するためのヒントを探る。
- シーズ主導とニーズ主導
- イノベーションを生み出すために、「シーズ」と「ニーズ」という2つの要素をどのように扱ったか、ビジネスの成長プロセスのどの段階でシーズを取り入れたか、といった事例をカバーすることで、イノベーション創出プロセスを俯瞰する視点を得る。
浮かび上がってきたイノベーションの「課題」と「ヒント」
著者の方々に執筆いただいた内容をまとめていく過程で、イノベーションをとりまくさまざまな「課題」、そして課題に取り組むための「ヒント」が浮かび上がってきました。
詳しい内容は特集記事に譲りますが、ここではいくつかの興味深いポイントを紹介します。
マーケットと直結したR&D環境の必要性
サイジニア社 代表取締役の吉井様は、Netflix Prizeの事例を紹介されています。米国DVDレンタル大手のNetflixが開催したレコメンデーションアルゴリズムのコンテストは、100万ドルの賞金やプライバシー保護をめぐる問題で大いに注目を集めました。しかし、優勝したアルゴリズムは実際にはサービスに採用されなかったことが、Netflixエンジニアのブログで述べられています。
その理由として、「研究用に取り出されたデータのサブセットに対して最適化を図っても、サービス運用の過程でユーザー行動のパターンが変化すること」が挙げられています。「データの科学の」時代に研究が実世界のイノベーションにつながるためには,最初から実環境、つまりマーケットからのリアルタイムなフィードバックが得られる環境での研究開発が重要になるだろうという議論は、非常に興味深く感じました。
R&Dへの適切なフィードバックの必要性
ホットリンク社は、2004年という非常に早い時期からHottoLaboという産学連携組織を設立し、大学の研究シーズの技術移転に取り組まれています。ホットリンク社 代表取締役の内山様は、榊さんとの共著で、過去の成功事例・非成功事例を通じて、技術移転を促進するための行動指針案を提案されています。
具体的には、「大規模データが社内ですぐに利用可能な形で蓄積されていること」とともに、「R&Dチームへの適切なフィードバックがなされること」の必要性が論じられています。非成功事例では、R&Dチームへのフィードバックが顧客および営業チームから行われていたものの、シーズへの期待が実態以上に大きく、ニーズ側が想定していた機能と実際に開発された機能に差異があったことが、一つの要因だとされています。また、成功した事例では、ニーズとシーズの両方を理解しているメンバーまたはコンサルチームが、研究シーズへの過剰な期待をかけすぎないように、ニーズをコントロールしながら適宜R&Dチームにフィードバックを行えていたという考察が示されています。
イノベーションを促進するための価値観の多様化
お茶の水女子大学の伊藤貴之先生は、産学連携研究や学生教育などにかかわってこられたご経験をもとに、価値観を多様化することでイノベーションを促進する、という方策をいくつか提案されています。
日本の大学の研究教育は圧倒的にシーズ重視の傾向が強いことを、海外の大学との比較に基づき論じられています。伊藤先生が在外研究されていたときに学生から見聞きしたこととして、
(企業との共同)研究プロジェクトで与えられる命題は、当初は一見学術的価値のないルーチンワークであるかのように見える。しかしその中から問題を発見して解決することは可能だし、その研究成果が就職活動時に高く評価される
という意見を紹介されています。一方で、伊藤先生がかかわっておられるVisual Analyticsというニーズ指向で生まれた学術分野についての話を日本国内で紹介すると、
研究分野全体のフレームワークや実用事例に関心を持たず、機械学習やインタラクションなどの各要素技術の理論的新規性だけを執拗に質問してくる人が少なからず見受けられる
という経験があったと述べられています。学術性新規性はいったんわきにおいて研究を始動し、新規性は後からついてくる、といった研究体制も認めるような価値観の多様化こそが、イノベーションの多様化につながるのではないか、という考察を示されています。
また、日本の大学には、「演習科目の充実度」「インターンシップの機会」「基礎教育の充実度」などで課題がいくつもあるものの、弱点を補うためにできる工夫についても論じられています。 - 産学連携の一環としてインターンシップをとらえる。日本のIT企業でも、正社員がメンターとして学生をきっちり指導し、学生の本質的スキルを高める業務を経験するケースを多々見聞きする。教員としても、短期的に学生が離れるのは痛いかもしれないが、学生がたくましくなって帰ってきてくれれば収穫になるはず。 - 基礎教育で得られる知識の重要性を体験させる機会を設ける。具体的には、数学的素養を必要とするプログラミング実習の実施や、IT基盤知識の重要性を実感できるインターンシップを勧めるなど。
女子大学に勤務されている先生ならではの視点として、女子学生が活躍できる環境をつくることによる価値観の多様化についても議論を展開されています。IT分野での女性の活躍は世界共通の課題認識となっており、ACMなどの主要学会でも女性の活躍に期待した多数の論文や記事が発表されているようです。伊藤先生は、女子学生を対象としたアンケートや見聞きしたことを通じて、 - 海外と比較して、高校での進路選択の際に「情報系学科への進学を薦められる機会が少ない」傾向がある - 学際的・融合的なテーマや、ニーズ指向に近い問題解決型の研究に興味を持つ傾向がある - IT分野について、報道や会話を通じて「理解」「共感」する機会が少ない といった考察を示されています。
一方で、IT企業が主催する女子学生限定のインターンシップやハッカソンなどのイベントに協力した際に感じられたことについても言及されています。参加した学生から、「いままで参加した他のセミナーよりもはるかによく理解できた」「こんなに自分のアイディアに共感してもらえる機会は初めてだった」といった感想が聞かれたことが印象的だったとのことです。こういった理解・共感を得る機会が一度あるだけでも、女子学生の自信・モチベーションを高める機会となり、独自性のあるイノベーション醸成につながる、という期待を述べられています。
おわりに
今回の特集では、非常に短い執筆期間にもかかわらず、いずれの著者の方々も非常に質の高い記事を執筆いただきました。また、単なる成功体験にとどまらず、イノベーションを生み出すために日々悩み、苦闘し、試行錯誤を続けられているプロセスをも披露していただいています。失敗体験や困難への直面など、書きづらいことがらについても率直に書いていただいた著者の方々に、厚く御礼申し上げます。
特集をとりまとめる経験を通じて、多くの現場で共通する課題があること、多くのステークホルダーの人々と協力することでしか解決できない課題があることをあらためて感じました。得られた知見を私たちのR&D活動でも生かしていくとともに、議論を盛り上げる視点を提示することで研究コミュニティに貢献できればと思います。